そして三日目の朝、とある会議室で翔兵達は今入ってきている情報を整理していた。
「気象庁発表発表によると、三日前の地震はマグニチュード7.8、一昨日のものはマグニチュード9.9だそうだ。一昨日の地震については直後に10回程余震が起きているそうだが、これについては、私の研究所の解析では15回の余震が起こっている。この影響で津波が最大50メートル程度の高さが県内各地の観測所で確認(観測)されている。本島北部地域では岩層雪崩が起きていて、それ関係の津波もみられる。辺野古基地(日米共同基地)(航空自衛隊辺野古駐屯地)では、活断層が南側護岸基礎内にあり、護岸の一部が崩壊している。」
そこでピコーンと気象庁から緊急映像メールが宏樹臨時知事のパソコンに衛星通信経由で来た。
気象庁長官の東田大士(日本地震学研究所所長・地震学会長)が、「30年前の君の研究報告書をないがしろにして悪かった。君にはうちの会議システムで現場からの報告してほしい。」と謝罪しテレビ会議への参加打診をした。
そのメッセージを見た翔兵は、その報告書を大原教授から3年前に見せらたことを思い出したのだった。
「そういえば、3年前にこの報告書を読ませていただきましたよね。まさか、そんな前から、今回の地震の予測を立てているってことですよね?まぁ、実際は予測した規模が前震としてきて、一昨日の本震の規模については予測が立てづらい状況だったと思いますがね。」と翔兵は大原教授の本心を拳の上に転がすように解いた。
大原教授は苦笑しながら言った。
「はは、ここまで私の本心を読まれるとはね。しかしながら本当は、この報告書を基礎にして新しい研究報告書を今年の秋に発表予定だったんだ。その報告書にはフィリピン海プレートの地震による崩壊を予測した部分が1割ほど入っている。」
その後、休憩をはさみ5時間40分程気象庁の緊急会議にオブザーバーとして参加し、現地から報告として今わかっている情報を共有した。
4日目と5日目は3日目と同じく気象庁との情報交換し、県内の各市町村からの被害報告が衛星経由で入ってきた。
その頃、臨時外部知事の比賀博はアメリカ出張3日目になっていた。
「気象庁発表発表によると、三日前の地震はマグニチュード7.8、一昨日のものはマグニチュード9.9だそうだ。一昨日の地震については直後に10回程余震が起きているそうだが、これについては、私の研究所の解析では15回の余震が起こっている。この影響で津波が最大50メートル程度の高さが県内各地の観測所で確認(観測)されている。本島北部地域では岩層雪崩が起きていて、それ関係の津波もみられる。辺野古基地(日米共同基地)(航空自衛隊辺野古駐屯地)では、活断層が南側護岸基礎内にあり、護岸の一部が崩壊している。」
そこでピコーンと気象庁から緊急映像メールが宏樹臨時知事のパソコンに衛星通信経由で来た。
気象庁長官の東田大士(日本地震学研究所所長・地震学会長)が、「30年前の君の研究報告書をないがしろにして悪かった。君にはうちの会議システムで現場からの報告してほしい。」と謝罪しテレビ会議への参加打診をした。
そのメッセージを見た翔兵は、その報告書を大原教授から3年前に見せらたことを思い出したのだった。
「そういえば、3年前にこの報告書を読ませていただきましたよね。まさか、そんな前から、今回の地震の予測を立てているってことですよね?まぁ、実際は予測した規模が前震としてきて、一昨日の本震の規模については予測が立てづらい状況だったと思いますがね。」と翔兵は大原教授の本心を拳の上に転がすように解いた。
大原教授は苦笑しながら言った。
「はは、ここまで私の本心を読まれるとはね。しかしながら本当は、この報告書を基礎にして新しい研究報告書を今年の秋に発表予定だったんだ。その報告書にはフィリピン海プレートの地震による崩壊を予測した部分が1割ほど入っている。」
その後、休憩をはさみ5時間40分程気象庁の緊急会議にオブザーバーとして参加し、現地から報告として今わかっている情報を共有した。
4日目と5日目は3日目と同じく気象庁との情報交換し、県内の各市町村からの被害報告が衛星経由で入ってきた。
その頃、臨時外部知事の比賀博はアメリカ出張3日目になっていた。
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