渡米一日目は、東京(大田国際空港)までロケットブースター付きヘリコプター(750㎞毎時)で二時間半程かけて行き、音速ジェット旅客機 (2450㎞毎時)で五時間でニューヨーク(ニューマンチェスター国際空港)に到着した。
そして二日目から三日目は、各州の知事に災害支援要請(人的)をした。
そして二日目から三日目は、各州の知事に災害支援要請(人的)をした。
震災発生から七日目、渡米から五日目、二次世界大戦後初の沖米首脳会談が行われた。
「本当に大変でしたね(まだまだ今からだが)。我が国もハワイやシアトル等で被害を受けたがしかしながら、そちらも相当な被害額になるようですね。」
と安里トロック栄治米大統領(県系6世)が言った。
「二日前の要請書をメールで再度送信しましたが、見ましたか?」
弘知事はそう聞いた。
「一時間程前送られたメールは新屋敷オリフェズ幸太郎副大統領と精査して、大統領令で発令し三十分で両院で同時強行可決しました。まあ事前に各州知事にも要請を出していたとは思っていないので調整に手間取りましたよ。そのおかげで強硬可決でも反対が出ず、我が国と同等の支援策を日本政府に打診して既に大使館を通し承諾をいただいてます。」
弘知事は決断の速さに驚きながらも、追い打ちをかけるように提示された支援額に驚愕した。
「この額で大丈夫でしょうか。総額は二兆ドル(一千億ドルを二十年間)の枠で組んでおります。」
「ええ、良いでしょう。仮サインしときます。本サインは災害対策本部の本部長に任せておりますが、どう致しましょうか?」
ここで弘知事は、快諾し仮サインをした。この後の予定を聞いた。
「私たちも実際に自国の被害場所を現地視察しましたが、そちらの被害実態もこの目で確 認したいと思っております。ですから一緒に帰郷しましょう。」
「その本部長ってのは、大原博樹准教授ですね。」
弘知事は、大原教授の名前を聞いて顔を上げた。
「大原准教授とは、四十年程前奥武島小中高一貫校で知り合いました。そのころからあの人
は、地震予知に尽力していましたからねぇ。本当に予知してしまうとは地母神に好かれているんじゃないの。」
笑いながら、懐かしみながら大統領がいった。
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